フィネガンズ・ウェイク本文開始(3pから)

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上の写真の黄色線が今回分。

柳瀬訳と宮田訳の両方を参照していく。

riverrun→柳瀬では「川走」。宮田では「川は流れる」。リバーランという単語の綴りに似た単語で「戦争」を意味する単語があるかというと、聞いたことがない。柳瀬訳ではこういう「作者も意図していない、訳者による意味の非常な多重化」がなされているので、原文に当たるとその極端さがわかる。

from swerve of shore to bend of bay→ここんとこはまだわりとわかりやすい。sとbの頭韻である。宮田では「弧を描く河岸から湾曲する海へ」。

commodius vicus→commodiusは本当はcommodiousという英語で、「広い」を表す。ラテン語の辞書を引いても載ってなかったのでおかしいなと思ったら、ジョイスが誤植を指摘しているらしい(フィネガンズウィキに書いてあった)。vicusはラテン語で牧場とかいう意味で、ラテン系の英語と英語にはないラテン語を混ぜて使っている。柳瀬ではvicusにヴィーコをかけて「媚行」とした。「広い牧場」をダブリンのことととれば「栄地四囲委蛇」にダブリンのことが意味されているとも?(この文の中に「ヘビ」を意味する単語は単純に見ればなさそうだ。巡る道のことをヘビにたとえた表現?)

第二段落:まあ要約すると「サー・トリストラムという楽士がオナニー戦を戦うために岩の多い地峡へやってくるのはまだである」ということになりそうだが。

violer d'amores→これは宮田では「ヴィオラ・ダモーレを奏でる人」にviolerからの「ヴァイオレンスをはたらく人」というような意味を合わせて「愛の破戒者」としている。柳瀬では「恋の伶人」と、あっさり済ましている。

fr'over the short sea→frってのはfryなのかfreeなのかわからない。単純に訳せば「短い海を越える」なんて感じだろうけど、宮田では「波立つ海を越えて」柳瀬では「短潮の海を越え」である。「短潮」はすぐあとで出てくる「minor」にかかっているのだろう。

had passencore rearrived from North Armorica→passは「過ぎる」だが、フランス語でpas encoreは「まだ~でない」という意味。ゆえに柳瀬では「もうとうに、まだまだだった」という句が来る。宮田では「まだのこと」で済ませて、passの意味はなくしているようだ。rearrivedは宮田では「ふたたびやってくる」でいいが、柳瀬では「ふた旅やってきたのは」。ノースアルモリカは地名だからそのまんま。

on this side the scraggy isthmus of Europe Minor→on the sideは柳瀬では一応「こちら」と訳しているが宮田では確認されない。scraggyは「ごつごつした」。宮田では「岩多き」だからまあいいとして、柳瀬では「凹ぎす」となっている。この「凹ぎす」とは?「おうぎす」という日本語をまず聞いたことないし…と思っていたら、scraggyには「やせた、骨ばった」という意味もあるので、それなら「凹んだ、ぎすぎすした」という意味で「凹ぎす」としたのかもしれないと読める。isthmusは「地峡」でよろしい。of Europe Minor は柳瀬では「ヨーロッパ・マイナー」でそのまんま、宮田では「孤独な」はマイナーのことでいいとして、「ヨーロッパ」というのはない。でもその後「半島性戦争」とあるので、ヨーロッパ自体をヨーロッパ半島ということにしているわけかもしれない。

to wielderfight his penisolate war →wieldは「手で扱う」という意味。宮田では「孤独な半島性戦争を戦うために」。柳瀬では「遅れ早せながら孤軍筆戦せんと」。「手で扱う戦い」で、しかも「ぺニス・isolate(孤立させる)・peninsula(半島)」の戦争なので当然オナニーである。わりとわかりやすい。(「遅れ早せながら」は先のpassencore rearrivedにかかっているか)

ワーズワースラシックスの原書は600p以上ある。頑張っても一日1/5pくらいしか進めなさそうだから3千日くらいかかるんじゃないのか?10年くらいコツコツやっていれば完走するかも知れないが…