フィネガンズ・ウェイク4pその3

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the oaks of ald now they lie in peat yet elms leap where askes lay
→oakは翻訳では樫だけど、落葉広葉樹木の総称で柏、楢なども含む。aldはまあoldでだいたいよろしい。lieは「横たわる」とか「眠る」。elmはニレ。leapは「跳ぶ」とある。layは「横たえる」
宮田「老樫は今はピートとなって平和眠りをし、楡の木はとねりこの木のあった場所で跳ねる」柳瀬「いにしえの樫らはいまや泥炭(すくも)らかに眠るが、ト寝リコのあるところに楡は根群れる」とねりこはash。askなんかと同じにしていいのかとも思うがそう見ないと両者訳ともに成り立たない。泥炭が「すくも」?と思ったがウィキで調べるとたしかに「葦、萱などの枯れたもの。萱の根、藻屑、籾殻、泥炭」だから合ってるんだ。「すこやか」とかけているのはpeatがpeaceみたいだってことかもしれない。leapはまず眠るなんて意味は確認できないが、なぜわざわざ「根群れる」なんてしたのか。

phall if you but will, rise you must
→phallはfall落ちるだと読めば、宮田の「人はたとえ倒れても立たねばならぬ」とか柳瀬の「たとえ落ちても、いずれは、かならずや起きねばならぬのだ」で合ってるわけだが、phallをphallus(ラテン語で男根)と読むと実に面白い文だ。実際英語でもphallicって書くと「男根の」だが、「たとえ男根がしなびても、いずれは立たねばならぬ」と読める。宮田にしろ柳瀬にしろなぜここまで書かなかったのか不思議だ。

and none so soon either shall the pharce for the nunce come to a setdown secular phoenish.
→eitherはnoneが先にあるわけだから「~もまた」と読める。pharceはfarce笑劇であろう。尼さんはnunだが複数形がnunsなので、pharceと韻を踏んでわざと変えているとも読める。secularは「世俗の」。phoenishはphoenix不死鳥の意味も入ってるだろうし、フェニックスはもともとフェニキアの神でもある。
宮田「尼さん向け茶番劇も俗な仕上がりとなって貶され、いずれふたたび甦る」柳瀬「そうしてじきに尼っちょろい茶番が不意ニ燻んで一件終着に灰あがるのが浮世の定め」灰はフェニックスの神話から来ているのだ。

Bygmester Finnegan, of the Stuttering Hand, freeman's maurer, lived in the broadest way immarginable in his rushlit toofarback for messuages before joshuan judges had given us numbers or Helviticus committed Deuteronomy
→bygmesterを両訳者とも「棟梁」と訳している。棟梁って言ったら普通「マスターカーペンター」なんだが「ビッグマスター」とすれば意味が通じないこともない。stutterは「どもる」。maurerは英語にはないがドイツ語で「レンガ積み職人」である。broadestは「すごく幅の広い」。immarginableはimaginable想像できるかぎりの、でいいだろうし、mが二つついてるからドイツ語のimmerいつも、の意味もあるかもしれない。rushlitというのは見つからないがrushlightなら「灯心草ろうそく」だ。lightの過去形はlitだったりする。
toofarback for messuagesというのは難しいが、フィネガンズウィキによれば「two-pair-back and passages」のことらしく、ダブリンの長屋の一般的な賃貸形態らしい。長屋の後ろの二階にあるシングルルームだとか。messuagesというのも住居の一種らしい。numbersはもうこれだけで「民数記」(旧約聖書の一書)という意味になり、deuteronomyとは「申命記」(これも旧約聖書の一書)のこと(デュテロノミーと発音する)。
宮田「どもる手の主、気ままな煉瓦職人、棟梁フィネガンは、ヨシュアの審問官が民数記をわれらに与え、エルヴェシウスが申命記に専念する前から、母屋に続くろうそくを灯した二間の裏部屋でこの上なく開けっぴろげな生活をし」
柳瀬「棟梁フィネガン、どもり手フリー面相は、裁き人らが士師憤然ヨシュ悪しと民数を記す前から広唐無罫通りのいぐさ明かりの奥間った奥間に寝あかに暮らし、あるいはへっレビ野郎は申命賭して姻行重ね」
(柳瀬の訳なんかもう「なんだこりゃ」って境地に達しているな…)
エルヴェシウスはフランスの啓蒙哲学者であるが、聖書の「レビ記」でもある。
宮田訳ではmessuagesを「母屋」と読めばだいたい通じる。
レビ記だったら英語では「leviticus」なんだよな。エルヴェシウスは英語で「Helvetius」で、明らかに文字の違いが見られるのでなんかどこまで正しいのだろうという気になってくる…
柳瀬訳では「煉瓦積み職人」が消去されているし、ヨシュアという名が「良し悪し」に転化されているし、「わたしたちに民数記を与える」という文がまるで違った形になっているし、いろいろ明らかにおかしい。lived in the broadest wayが「寝あかに暮らし」、immarginableが一応「広唐無罫」、toofarbackが「奥間った奥間」。Helviticus committed deuteronomyが「へっレビ野郎は申命賭して姻行重ね」って…多分レヴィティクスがヘルヴィティクスになってるから「へ」をつけて「へっぽこ」みたいにしたんだろうけど、原文にどこにも「へっぽこ」みたいなのはないし、多分commitに「罪などを犯す」という意味もあるから「申命(身命)賭して姻行(淫行)重ね」にしたんだろうけど、単純に読めば「申命記にかかりあう」なだけとも読めるしその方が普通だろ。